「なぜ山を登るのか」は「そこに山があるから」じゃない

なぜ山を登るのか、というと大体「そこに山があるから」と例の名言を引用して一笑い(苦笑)起こってうやむやになるのがお約束です。

で、山を登らない人はなんでわざわざキツイ思いして、危険おかしてまで登るのか一生理解できません。

この問題、マジレスすると「気持ちいいから」の一言に尽きます。
厳密に言うと「不快感を快感が上回るから」です。
そしてこれ、登山に限った話じゃなくて、なんにでも言えることです。

あなたの趣味はなんですか?
と聞かれて真っ先に頭に浮かんだその趣味、絶対、不快感を快感が上回ってますよね?

サッカーが趣味の人、筋トレとかランニングとか練習とか辛いこともあると思います。でも勝ったときの喜びとか試合中の駆け引きとか体を動かす気持ちよさとかがそれを上回るから続くんですよね?

僕はサッカーの良さを知らないので快感のポイントはズレてるかもしれませんが、「快感が不快感を上回る」ところは合ってるはず。
他のどんな趣味も同じはずです。
続くのはそれを上回る快感があるからなんですよ。
山登りだって同じです。山登りの快感と聞いて誰もが真っ先に思いつくのは山頂からのいい景色でしょうか。

確かにそれもあります。
でもそれだけじゃないんです。

ていうか山頂からの景色なんて大体どこも同じだし、数分眺めたあとは食事したり、会話したりでもう景色見てないです。

じゃあなんなのか。

自分の場合は、登ってる間が気持ちいいから、あと、登ってる間、思考が整理されるから。

たぶん共感できる人はいないでしょう。
特に後者は登山が趣味の人でもいないと思います。
自分でもそんなことが登山の快感ポイントになるとは思いもしませんでしたが、事実だからしょうがないです。

日常生活でやらないといけないけどなんとなく面倒で先送りにしていることってありませんか?

台所の換気扇の掃除とか、風呂のカビ取りとか。

目につくたびに、あーやらなきゃなーと思うけど結局やらず、そんな自分にも不快感を持ち、終わってないからまた同じものを目にしてまた不快感が出て…。

僕もあります。
僕の場合は、具体的な行動というより、結論を出すのが面倒で保留していることが多いです。

それが、一人で黙々と山を登ってるとき、次々に頭に浮かんでくるんです。
で、わりとポンポン結論が出るんですよ。
それも大体、前向きな方向で。

で、結論がでると頭の中でギュッとコンパクトにまとまるんですよ。
脱いだ洋服を部屋に雑に脱ぎ散らかすとあっという間に部屋のスペース埋め尽くしますよね。
でもきちんと畳むと一気に空きスペースできますよね。

あれと同じです。
その瞬間って気持ちよくないですか?
あれです。
あの感じが山を登ってる途中、ずっと起こってるんです。
1つ片付いたらまた次、結論が出てスッキリしたらまた次、と。
どんどん頭の中に空きスペースができていきます。
その快感がまた次の問題を解決しようという気持ちを生み、解決したら快感が生まれ、という好循環になります。

普段だとそれは「がんばろう」と意気込んでやらないと進まないことです。
もう、この時点で不快感が強いんですよね。
義務感とか追い立てられる感は不快感が強いです。
だから見て見ぬふりをして先送りするんです。
それが、山登り中はなぜか前向きに向き合えるんです。

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